一人一切人(いちにんいっさいにん) 一切人一人(いっさいにんいちにん) 一行一切行(いちぎょういっさいぎょう) 一切行一行(いっさいぎょういちぎょう) 十界一念(じっかいいちねん) 融通念佛(ゆうづうねんぶつ) 億百万遍(おくひゃくまんべん) 功徳円満(くどくえんまん)
の偈文(げもん)を授かり開宗されました。 自分一人の念仏が他のすべての人(一切人(いっさいにん))に及(およ)ぼし、一切人(いっさいにん)の念仏が一人(ひとり)に納(おさ)まり、計(はか)り知れない念仏の数(かず)となって功徳(くどく)(仏様の恵(めぐみ))も広大になる。ともどもに念仏を唱和する中に、阿弥陀(あみだ)様の本願力(ほんがんりき)と自己(じこ)の念佛(ねんぶつ)の力(ちから)とが互いに融通(ゆうずう)して、現世(げんせ)に喜びあふれ智慧(ちえ)輝く楽土(らくど)を建設(けんせつ)することをめざす。 つまりひとりの念仏が他(た)の多くの人(ひと)に、他(た)の多(おお)くの人(ひと)の念仏がひとりに影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、その念仏を唱(とな)えあう中(なか)で仏様の本願力(ほんがんりき)(皆(みな)をおすくい下さる 力)とが融通(ゆうずう)しあい、すばらしい楽土(らくど)が開かれるという こと。 融通念仏の教え 融通念佛の融通とはどのような意味かと申しますと「融(ゆう)」とは心(こころ)がとけあうこと(和合(わごう))「通(つう)」とは隔(へだ)てなく通(かよ)い合うこと(共通)です。 すべてのものは、すがた(相(そう))も、はたらき(用(ゆう))も異なります。 たとえばセメントと砂と水の三者はそれぞれすがたもはたらきも異なります。しかしこれを適度に混(ま)ぜ合わせることによってみごとにその個性を生かしあってコンクリートという強固(きょうこ(なものになります。 また、野球場に灯(とも)された何千何万個の電灯はそれぞれの光を放ち合い一定の照明となりナイターが出来るのです。それは、電灯一個ずつがお互いに通じて碍(さわ)りのない世界を創(つく)りだしているからです。 それぞれが自分の力とはたらきを出し合って自分の個性を発輝(はっき)しつつ、しかも調和のとれた世界を現出(げんしゅつ)しています。これが融通です。 これは全体(一切(いっさい))の中の個(こ)(一(いち))の大切さをいったものであります。 (一(いち))と(一切(いっさい))との関係は相依(あいよ)り相扶(あいたす)けあって存在するのです。 このことを「一人一切人(いちにんいっさいにん)・一切人一人(いっさいにんいちにん)」と申しています。 融通念佛とは念仏を修(しゅう)すること(一行(いちぎょう))によって人と人、人と物、物と物とのすべての行(おこな)い(一切行(いっさいぎょう))の関係の上に自分の唱(とな)える念仏が他人様の唱える念仏ととけあい、さらに阿弥陀様(あみださま)のみんなをお済(すく)い下さる本願力(ほんがんりき)とが融通和合して共に生きるということを「一行一切行(いちぎょういっさいぎょう)・一切行一行(いっさいぎょういちぎょう)」と申して苦悩と迷いのこの世界を喜びに満(み)ち溢(あふ)れた楽土(らくど)(浄土(じょうど))にすることをめざした教えです。
ホームページに関するご意見はこちらまで